2008年5月31日土曜日

アフタヌーンショー。。。

今思い出せば。。。菊容子って名前を聞いたのは、昭和50年頃、アフタヌーンショー。司会は川崎敬三で、 彼女が殺されたってニュースを取り扱かってた。例の如く最後の出演となった時代劇!みたいな事をやってたかな?。。。菊容子って女優を知らなかった自分としては、へ~ってな感じだったと思う。それからまもなく、再放送の好き!すき!!魔女先生を観た記憶があって、え!彼女の作品。。。あんな事件があったのにもう放送されてるって驚いてた。内容は当時の僕にはやばすぎて、けっこう色気ぷんぷんだったから。。。ミニスカートで、ブランコ漕いだりと。。。でもヤフオク競り落としたビデオ観たら、今観ると普通で健康的な、お色気って感じ。。。記憶はどんどん膨らんでいい加減に、膨張始めるんだな~♪~( ̄。 ̄) ←トボケガオ 

このドラマのあらすじは・・・

アンドロ星のお姫様、月ひかるが地球に平和監視委員としてやってきて、小学校の先生となる。「ムーンライト・パワー」という掛け声とともに、指輪で魔法を使う。後半、アンドロ仮面というものに変身するようになった。

原作者 :石森章太郎連 載 :なかよし  途中から フレンド に変わった
      原作のタイトルは千の目先生

制 作   東映・朝日放送放映期間 1971/10/03 ~1972/03/26放映局
NET(現 テレビ朝日)
放映時間 日曜日 18:00~18:30

放送データ
歌:堀江美都子

登場人物

月ひかる 菊容子
        アンドロメダ星雲支部直属平和監視員。
        地球に平和監視員としてやってきた。
        東西学園にて5年D組の担任となる。
校 長 潮万太郎
        東西学園小学部
旗野先生 森本レオ
        5年A組の担任。ひかる先生に好意を持っている。
用務員 奥村公延
正夫  藤江喜幸
田辺進 矢崎知紀
        5年D組クラス委員でガリ勉。
タケシ 川口英樹
ハル子 杉山和子
ひかるの兄 佐々木功
ナレーション 天地総子
パルの声 牟田悌三
        アンドロメダ星雲支部直属平和監視員である月ひかるのアシスタント
プロデューサー:平山亨・小野耕人
監 督 :折田至

次回はこの作品においての彼女の不思議?を少し探ってみたい。

2008年5月29日木曜日

力道山の映画。。。

数年前、何気なくCS放送を観てたら、力道山の映画がやっておるのではないですか!力さんはリアルタイムで(子供でしたが)憧れていた自分、我等の強いオジサン!てな具合で、ま~久しぶりの会いたさに観ていた“怒れ!力道山 1956”。。。この映画は観るのが初めて、、、どんな活躍をするのかなと?。。。ま、当時の時代は高度成長まっしぐら、とにかくスターはステーキを食ってるような顔・・・つまり、ふっくら顔が良い時代・・・今とは逆!敗戦を経て貧しい時代だった当時は、世の求めるものは裕福さ。小顔=貧相顔 お呼びではない時代。

※このキャプ写真は最近NHKーBSで、放送された物で、彼女がひがみから力道山達に、食って掛かる 最初の登場シーン。

今回は、この映画のあらすじ・・・子供達の人気者力道山の控室から、ある日、貫一少年が小型のチャンピオン・ベルトを盗み出す。だが小児麻痺の友達晃にやるためと判り、力道山は早速、晃を見舞い元気づけるが、姉の悦子はひがみから彼に喰って掛る始末である。その頃、彦根市体育館落成記念に力道山は大橋代議士に招かれたが、主催する赤岩興業の社長敬介に不快を感じ中座。

帰途、暴漢に襲われた米川老人を助け出す。老人は娘康子と共に小児麻痺学校の愛光学院を経営していたが赤岩や大橋らは、学院に出される市の補助金を使い込んでおり、近づく選挙のため、穴埋めに苦心していた。力道山は試合を終えると直ぐ学校を訪れ、テレビとファイトマネーを全部寄附し皆を感激させた。

だがアメリカから強敵レッド・ドラゴンを迎えての試合は引分け、大阪で第二戦を約束するが赤岩達は、力道山が力士時代からの恩人大橋の口ききでこの興行を引受ける。悦子からの謝罪状に喜んで見舞に赴いた力道山は、彼に歩み寄ろうと努める晃の姿に思わずかけ寄って抱き上げる。力道山は悦子と晃を大阪の試合に招待。だが帰途、康子から大橋らの悪事を聞いて怒り、ドラゴンに勝ったら当日の収入を全部くれと赤岩にいう。

大橋も悪事露見で幹事長から立候補辞退を申込まれ、絶体絶命。ドラゴンに巨額の報酬を約束する一方、横浜のキャバレーに力道山を呼び寄せ、子分に襲わせる。力道山は一味を叩き伏せるが左腕に負傷しかし子供のためにとリングに上る。手に汗して見守る少年達や赤岩一味の眼前で、ドラゴンの反則にも力道山は遂に勝つ。彼を殺そうとした一味も警官に逮捕。乱れ飛ぶ花束の中に力道山は微笑する。

次回は、この映画が切っ掛けで、初めて遭遇する事になる。。。小宮光江♪ 大雑把な頭を絞りながら、少しづつ語っていきます。

2008年5月28日水曜日

自己紹介 麻田ルミの巻

麻田ルミ(あさだるみ、1955年2月20日 - )は、日本の女優。大阪府八尾市出身。(本名:麻田淳子・あさだあつこ)
経歴 昭和40年3月、大阪西野バレエ団に入団。クラシックバレエを学ぶ。昭和45年10月2日東京12チャンネルの富島健夫原作のジュニア小説を元にドラマ化した「おさな妻」で等身大の主人公「玲子」を演じた。

2008年5月27日火曜日

自己紹介 菊容子の巻



菊 容子(きく ようこ 本名・菊池洋子=きくち ようこ、1950年9月26日 - 1975年4月29日)は、日本の女優。
小学生の頃から少女雑誌の表紙モデルで芸能キャリアをスタートし、中学生時代にNHK主催の新人オーディションで2位合格となり、後に女優業に転向する。
1971年、朝日放送系で放映したドラマ「好き!すき!!魔女先生」のヒロイン・月ひかるの役で人気を集め、その他ドラマ・映画・舞台を中心に活躍した。
だが、1975年、高田馬場にある自宅で交際していた男性俳優・藤沢陽二郎に絞殺される。享年26(満24歳没)。

2008年5月26日月曜日

自己紹介 小宮光江の巻


映画情報昭和32年1月■小宮光江

昭和37年1/20午前9時、新宿区下落合1丁目の会社員青木方で、お手伝いの女性(21)が掃除中、奥の洋間がガス臭いのに気付き、ベッドの中で間借り人の東映女優、小宮光江(26)が自殺しているのが発見された。小宮はガスストーブに点火せず、ガス栓を開けており、「ケーリーごめんね、ミー子もうだめ」とメモに鉛筆書きの遺書を残していた。遺書はその後の文章は判別できなかった。小宮は大宮東中時代からモダンバレエを始め、目白の川村学園を経て、昭和29年にミス大宮に、東宝芸能学校に1年間通学し、昭和30年夏の鎌倉カーニバルで初代江ノ島海の女王となり、10月にスカウトされて東映に入社していた。自殺の前日の昭和37年1/19夜には貿易商の青年ケーリー・ヤマモトと食事をしており、1/20午前1時15分には、かねてから交際していた駒沢の無私寮の東映選手張本勲に電話、「相談したい事がある」と張本を呼び出したが、「遅いから」と断られていた。小宮は派手な交際で知られたが、小宮の死について、ケーリーは「過失死じゃないか」と語った。小宮は母の影響で創価学会に入信していた。

遺作「恋と太陽とギャング」は死後公開された。